篤姫の願い、見つかった 大阪に直筆短冊 朝日7/12

http://www.asahi.com/culture/update/0712/OSK200807120081.html
篤姫 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)天璋院篤姫の生涯―篤姫をめぐる160人の群像 (別冊歴史読本 87)

「年をへし池の岩おの亀もなお うごかぬ御世に契りてやすむ」
幕府が弱体化する中で将軍の正室となり、世の中の安泰を願う思いが詠まれている。それを包んだ畳紙(たとう)には、1856(安政3)年の篤姫江戸城入り前に書かれたことを示す「御台様御染筆御上り前拝領」「安政三辰(たつ)年十月」の文字があった。

 島津久光ら島津家ゆかりの人の短冊26枚の中にあった。ということは薩摩藩関係者に下げ渡されたものか。
 「年月を経た池の岩の上にいる亀」のように「微動だにしない変化しない体制」に生涯を捧げる決心が窺がえる。
 1856(安政3)年江戸城入り前にこの表明が為されているということは、「徳川の妻」としての覚悟を示しているようだ。



 8代吉宗の養女として島津家へ嫁した竹姫、11代将軍家斉の正室広大院以来、島津家は将軍家に対して身内意識があっただろうから、
 「14代将軍継嗣問題」に関わる篤姫の使命ばかりをクローズアップするのは、維新後の近代的な見方が過ぎるような気もする。


 あるいは、この和歌の短冊にあるような外部への意思表明は「擬態」「ポーズ」で、情報操作的な意味があったのかもしれない。