新選組!と「だんだら模様」と「お軽勘平」

 士道を貫き、切腹にこだわるというテーマで、新選組像は形作られている。
わずか140年ほど前なのに、随分脚色された姿が現代に伝わっていると思う。

 脚色の元本となる「忠臣蔵」。象徴的なだんだら模様は勿論、先回の山南敬助と明里の道行きも「お軽勘平」に通じる。明里の存在や山南切腹前の格子越しの別れは有名だけど、史実ではないという説が有力だ。筋を盛り上げ、泣き所を挿入する意図は「忠臣蔵」からヒントを得ていると言える。

 これでもかという切腹の連続と賞揚も「忠臣蔵」の影響だ。いかに激動の幕末に生きてはいても従容と切腹に臨める武士らしい武士はほとんどいないと思う。
 実際は内ゲバ(古)、粛清の結果を美化するために「切腹」という装置が使われている。

 新選組像を今に伝えた多くの史料や口伝は、世上おおいにもてはやされている「忠臣蔵」を意識したフィルターを経ている。今とは異なり、賊軍として虐げられた存在だった「新選組」を顕彰するための術だったのかもしれない。

 史実以外を排除するつもりはないが、史実を踏まえた上で歴史を自由に楽しみたい。

 大人気「忠臣蔵」に「新選組」を結びつけて偲んだ、後の世の人々の「新選組」への愛情を感じる。