ナショナリズムとオリンピック

 選手の出身国での盛り上がりぶりや国歌斉唱とか、ナショナリズムてんこ盛りのように思われるオリンピックだけれども、選手個人のパフォーマンスの方が主で、それほど国が前面に出てこなくようになった、と感じる。

 選手個人の精神状態や個人情報、オリンピックまでの過程などに注目や賞賛が集まり、国家や周囲の過剰な期待がちょっとかっこ悪く見えてくるようになった。あるいはそのように報道されている。

 女性選手の活躍や人数が増えてきたことも、ナショナリズムから離れた印象を醸し出している。異論もあるだろうが、女性のイメージは国家社会より家族社会に近い。闘争より融和に近い。破壊より生み育てる方に近い。

 女性選手の活躍はオリンピックの精神を支える。聖母もアマテラスも高みから人間社会を見守っているはず。

 とはいっても、地上の多くの聖母たちはお互い小さな事で張り合ったり、いがみ合ったりしているけど。