単純な仕掛け
本をいつも定価で売っていると、スーパーなどで「○○円のところをなんと××円」という二重の価格表示が気になる。
「安くできるのだったら、初めから安い方を定価として表示しろよ。」とも思うし、 「いいなあ。安売りできて。」とも思う。
実際、自分も本以外の買い物をするとき、「おっ。安い。」と仕掛けがわかっていても、グラッときてしまう。数字で明確にアッピールされるとみんな弱いと思う。
価格表示に関わらず身近な生活に単純な仕掛けが多すぎるように思う。
たとえば時計の時間を進める習慣。自分で進めたのがわかっていて意味は無いように思うのだが進めておかないと安心できない。
交差点の信号。双方向が赤という時間があることをみんな知っているので、赤でも突っ切る車が多い。そのため双方向が赤の時間がだんだん増やされてしまっている。
本当の価値を見定めるのが面倒なので、単純な仕掛けを読み取ることによって満足し、行動に正当性を与えてしまっている。
些細な事ならそれでいいけど、重要な問題は仕掛けに惑わされず深く考えて、生きたい。