直江兼続の愛

 6月2日放送のトリビアの泉直江兼続の兜の前立てが「愛」という字だったことに多くの「へえ」が寄せられた。
 ただ、当時の「愛」に対する概念が現在とは違うように思う。品評員は面白がっていたけど「世界の中心で、愛をさけぶ」の「愛」とは異質のものだろう。

 私は、戦国時代に生きた人々の精神面に大きなウエイトを占めていたのは、宗教、神仏だったと思う。直江兼続が仕えた上杉謙信や景勝の神仏への信仰は厚い。「愛」は愛染明王の「愛」ではなかったのか。謙信の「毘」も刀八毘沙門天から採っているし。

 謙信にも飯綱信仰の前立ての兜が残っている。http://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/bunkazai/maetate_i/kabuto.jpg
そして真言密教にかなりはまっていた。愛染明王密教でいう敬愛の本尊だ。

 ただ、兼続の人生が美化されすぎ、裏返しの解釈が現在は行われているように感じる。 本人にとっても清廉潔白、信義に篤いというのは理想で、実際は深謀遠慮を専らとし、汚いことも平気でしなければならない現実に悩んでいたのかもしれない。
 その反動で儒教神道、仏教に没頭したのではないか。直江版はその表現。
 
 謙信が戦場に神仏の権化として正義を貫くため舞い降りようとしたのに対し、兼続は正義も敬愛の精神もない戦場にひとり「愛」を知る人格として佇立しようとしたのではないか。しかし彼自身も師である謙信同様、目的を達せず不本意な思いを抱いたにちがいない。

 
 近衛龍春氏のあとがきにも上杉三郎景虎 (光文社文庫)2005年5月追記