やっぱりこだわってしまうメダル

 「参加することに意義がある」はずのオリンピックだけれど、メダルの色や獲得メダル数にこだわってしまうのは仕方ないかも。

 「メダルはどうでもいい、アスリートのパフォーマンスが感動できれば。」と勤めて意識しているのに、無意識のうちにメダルを獲得できるかに一喜一憂し、他の参加国のメダル数をチェックしている自分がいる。
 マスコミのメダル絶対主義報道に嫌悪感を抱きながらも、見入ってしまう自分がいる。

 物事の価値判断の目印としてのメダル。絶対評価としてのメダル。精神的よりどころとしてのメダル。

 買い物の際、まず値札を見てしまう心理に似ている。「値段ではない。自分なりの価値判断で買い物するんだ。」と思っていても、値札に手が伸びる私。それでいいんだ。普通の感覚なんだ。