屯所の移転と山南敬助から思うこと

 「池田屋」の辺りでも尊攘派掃討に消極的で、傷病説もあったけれど、西本願寺移転では明らかに反対の立場をとっている。

 もともと西本願寺が反幕府的で尊攘派に好意的なのは、大河ドラマの中で伊東甲子太郎からレクチャーされるまでもないが、当時のほとんどの寺社権門が異国文化の流入に嫌悪感を持っていたはずだ。しかも長州では宗旨が西本願寺に属する門徒の勢力も大きい。
 当然長州贔屓になり、尊攘派の活動拠点となっている。資金も潤沢だし。

 山南の思想面で「尊攘」という軸はどうしてもはずせなかったんだ、と思う。西本願寺に由来する尊攘志士とのパイプもあったかもしれない。天狗党の結末もショックだったんだろう。

 近藤勇が江戸下向後、自らの攘夷論や幕府の「建前としての攘夷」に疑問を感じていたように、世の中全体が攘夷の矛盾に徐々に息詰まっていく。

 現代から見ると、幕府の崩壊という歴史上の事実を知っているから一気に倒幕に至ったように見えるけれど、当時にしてみれば開国攘夷が最大の論点で、そのせいで秩序が乱れ、テロが頻発していた。
 その秩序の維持のための番人が新選組であったはずだ。番人が論争に加わったらますます混迷してしまう。

 山南が思想面で考え込めば考え込むほど、新選組という組織から離れていくのは致し方ないのかもしれない。後に近藤が不可解な決断をして死に至るのも、山南の死に通じるものがあると思う。