大河天地人「謙信の死」「二人の養子」「御館の乱」

「天地人」を歩く

御館=上杉謙信関東管領上杉憲政を迎えた時にその居館として建設した関東管領

 御屋形様謙信の死は、利権や領地が再配分されるチャンス。
 謙信の父、長尾為景の死の際と同様、ドサクサ紛れでうまく立ち回りたいと俄然、国人衆が色めき立つのは当然の成り行き。
 柿崎氏や北条(きたじょう)氏に限らず、それぞれ同族内でも景勝派と景虎派に別れ争うエキサイトした展開になる。
 天下の趨勢なんてお構いなしで目先の利に群がるのは昔も今も同じ。
 秩序の崩壊は大チャンス。



 結局、乱の終了後も押さえが利かず論功行賞で揉めるし、結果的に上田衆の台頭となるし、
 そして中世的な越後の支配体制も再編され、これに基づき秀吉による会津転封が決定される。



 御館の住まう前関東管領上杉憲政の立場役割の説明が難しい。
 1579年景虎の嫡男・道満丸とともに和睦の交渉は不自然。
 憲政の子孫は江戸時代に確認されているし。