養子同士の争い 大河天地人

御館の乱 (1979年) (調査報告〈第1号〉)
御館の時代―十二世紀の越後・会津・奥羽

 景虎、景勝の争いから「御館の乱」へと物語は進む。
 上杉謙信自身も周囲から推されて平姓府内長尾氏から関東管領上杉氏(山内殿)の後継となったように、
 戦国時代では血筋より「器量」「人脈」に優れた者が継がないと立ち行かない。
 謙信も盛んに周囲に後継者選び、養子縁組を斡旋調停しているし。


 血筋の近さから後継を決めて周囲が納得できるのは、家や社会が安定してきてからなんだろう。


 貴重な史料?である天正3年(1575年)の上杉家軍役帳に景虎の名が見えないことが、
 逆に史実を明らかにする可能性を低くしているような気がする。