新撰組!における死

 あっさり人が殺されていく展開が続く。重い事実だが現代においてドラマ化されるとき人の死が軽すぎないか、とも思う。

 一人の人の死は当時の世の中全体から見れば些細なことかもしれない。情報の伝わり方も遅いし、その内容も乏しいから影響力も小さい。
 しかし逆に過去を現代から見ると、人の死の重要性や及ぼす影響がどうしてもクローズアップされがちだ。
 ということはどんどん人が死んでいく「新撰組!」で人の死を描くとき、あっさりと軽く扱うほうが自然なのかもしれない。

 人の命は重いけれども、無理におおきな意味合いを持たせることは、当時の雰囲気から遠ざかることになるのもしれない。

 石坂浩二も「のんびりしすぎてるとか言われてるけど、あの時代の人は、あんな状況でも結構呑気だったんじゃないかなあ。うちの親も空襲の時、風呂に入って空眺めてたって言ってたし。」と言ってたし。