安土城、焼失は2代目? 炎上の4年前「倒壊」の古文書  朝日9/15

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709150079.html
火天の城 (文春文庫)火天の城

東大寺大仏殿尺寸方并牒状奥ニ私之日記在之」のくだりに、天正6(1578)年5月の項目があり、「アツチ之城天主タヲレ畢 人民死畢」(安土城の天主が倒れ、人々が死んだ)と書かれていた、・・・ 
安土城天正4年正月の着工。7年5月に信長が天主に移った。10年6月、本能寺の変の後に焼失。次男の信雄が火を放ったとも、明智光秀の娘婿が放火したとも言われる。記述の通りなら、その4年前に倒れ、再建されていたわけだ。

 
 江戸時代の「天守」と違い、壮麗さを演出し居住をも目的とし、大空間で採光も考慮されていたから、耐震性は乏しいように思う。
 後の伏見城の例をみても、長期は存在できなかった「夢の城」だったのかもしれない。
 謎をはらむ悲劇的なその運命にこそ、価値があるような気がする。