上田原と長篠

武田家臣団―信玄を支えた24将と息子たち (学研M文庫 (こ-9-2))

 大河「風林火山」では上田原の合戦(1548年)が終わったところだけれども、
 武田の重臣板垣信方甘利虎泰、才間河内守、初鹿野伝右衛門ら)があっけなく討ち死するのには、それなりのワケがあるのだろう。
 ドラマのように「主君を諫めよう」としたわけではないことは確か。
 きっと独立心の強い家臣団を十分掌握できていない体制なのだろう。
 


 27年後の長篠の合戦でも多くの重臣が討ち死にするが、「統率力の弱さ」のせいのような気がする。