直江兼続、登場以前

正伝・直江兼続―別篇・関ケ原戦縦横 直江兼続とその時代 (1980年)

 2009年の大河主人公だが、全国的一般的には認知度が低いかもしれない。
 新潟県では上杉謙信山本五十六(or河井継之助)と並んで三大偉人らしいが。


 兼続自身による直江版、直江状などの事績逸話も多いが、兼続以前に直江氏が上杉謙信、景勝の時代に果たした役回りが大きい。


 兼続の先々代の実綱(景綱)は天正5年(1577年)、能登攻めで活躍後、上杉謙信の死の前年に亡くなっているが、謙信擁立から終始その中枢にあった。

 先代の信綱は天正9年(1581年)、御館の乱で活躍後、恩賞を巡るトラブルなどから春日山城内で毛利秀広によって山崎秀仙とともに殺害された。なにか別の事情がありそう。

謙信の死の床で景勝後継の「遺言」を受けたのが直江景綱未亡人というのも気になる。