安土城大手門前に大規模広場跡…天皇行幸出迎え用か
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20050819p101.htm
本能寺の変後、焼失してしまった安土城。その出火の原因等も不確かで謎が残る。
安土城の意義をきちんと評価できていたのは、信長のみだったのかもしれない。
だから信長の死後しばらく安土城も本来の意味からすると仮の状態で使われ、やがて存在意義を失い姿を消すこととなったのか。
当時の人々にとって、信長の構造改革は従来の伝統や道理からは理解しがたい物だったと思う。
朝廷の権威や在来の宗教を踏まえた物ではなかったのかもしれない。
広場という空間も、中国や西洋のそれに近い物だったのか。
セレモニーや「馬揃え」をするつもりだったのか。
本能寺の変が起きなくても、信長の居城はさらに西へと漸進して行くこととなっただろう。となると「防御を重視した戦国期の城郭では異例の造りが判明している」安土城は、どのような使われ方をしたのだろう。