御恩と奉公は建前なのかも

鎌倉幕府御家人制の展開

 「大河義経」でも、他の御家人たちとしっくりいかない義経


 平家追討だの大番役だの、多くの武士にとって面倒で迷惑な事だったのではないか。


 東国武士団が一枚岩ではないことは当たり前で、武士団内で頻発する「−の乱」「−事件」を挙げるまでも無いけれど、もともとみんな仲が悪かった。


 鎌倉殿がいれば権利も代弁してくれるし、争いも調整され、収まりが良いから担いでいたに過ぎず、都合悪くなれば「王殺し」も厭わない。
 義経排斥もその線上にあるように思う。