大河で源義仲最後

 木曽義仲―「朝日将軍」と称えられた源氏の豪将 (PHP文庫)籤引き将軍足利義教 (講談社選書メチエ)剣豪将軍義輝本能寺の変 真説
 獄門に首をさらされ哀れな結末。義経が見物に訪れる場面で巴御前と遭遇。
 
 義仲の最後が、どうも150年後の六波羅探題北条仲時の最後と重なる。
 近江は近江でも場所が異なる両者の最期。
 しかし後の世の人々が混同して伝えたものもあるのではないか。
 
 イメージが重なる最後といえば、足利義教足利義輝織田信長
 きっと以前にあった暗殺や襲撃を踏まえた観測や対応が周囲にあったと思われる。
 京の人々にとって、貴人要人殺しは「あり」で「やっぱり」な感覚なのかも。


 伝聞や口伝による完全ではない情報が多くの人々の間に流れ、それに基づいた様々な行動が世の中の動きとなる。
 現場にも一次資料にも当たる訳にもいかず(識字できる人が少ない)、それが出来ないからと言って行動や観測すらもしないというわけにもいかず、多くの人々は必死に生きようとしていたに違いない。


ドラマで義経は反対していたけれど(実際は逆)今では残酷でグロな「獄門」も、当時は娯楽でも大きなイベントでもあった様に感じる。